(敬意を込めて敬称略)
ロックからブラックミュージックへ
その② ジェイムズブラウン JAMES BROWN
昭和ロック少年にとって
SOULソウルミュージック及びFUNKファンクミュージックは
大人な感じに見えて遠い存在でした。
ロックに比べたら敷居が高い。実際まわりに聴いてる人もいないし、情報ゼロ。
耳にするのはせいぜい流行りのディスコミュージック
アースウィンド&ファイヤーくらい。
モダンジャズなんて20歳までは立ち入り禁止。
聴いていいのは日本のフュージョンのみ。(イメージ)
ブラックミュージックをやや身近に感じるようになったのはヒップホップでした。
マイケルジャクソン(オフザウォール)も同時期だったような気がしますが
ピンときませんソウルというよりポピュラーミュージックという
感覚で受け止めていたからです。
この時点でブラックミュージックを探す旅は大きく二つ出来ました。
ロック(ブリティッシュビート、ストーンズ)からブルースに行きソウル、ファンクへ。
そしてもう一つはヒップホップからソウル、ファンクへ。
ブラックミュージックの道は険しく
長い道のりだと感じていた時に出会ったのが
ジェイムズブラウンです。
ジェイムズブラウン=ブラックミュージックの歴史。
正確な表現ではないと思いますが、ある意味はずれてもない。
JB の音楽がソウル&ファンクミュージックへの近道(正しい道)であることは間違い無いです。
ジェイムズブラウン。1933年サウスキャロライナ州バーンウェル生まれ。
ジョージア州メイコン育ち。貧困家庭、両親離婚後、親戚の家へ。
音楽好きのジェイムズ少年はゴスペルを聞いて育つ。
カウントベイシー、ルイジョーダン、ロイブラウンなど
初期R&Bロッキン&ジャンプミュージックに影響を受け1959年キングレコードからデビュー。
初期はR&Bスタイル。1960年代入り独自のファンクミュージックを作り上げる。
ちゃんと聴こうと思ったきっかけは
ヒップホップ、アフリカバンバータとの企画盤「UNITY」でした。*参考LP1
初期アルバムを初めて聴いた時の印象は今でも覚えています。
「あれっ?イメージと違うぞ、、、」自分が思っていたイメージは
「SEX MACHINE」の初期型スタイルみたいなものだったのですが内容は普通のR&Bスタイル。
しかし曲はいいし、歌もうまいし、味わいがある。
ジャンプスタイルの曲も、ロックンロールスタイルの曲もいい。
特にバラード曲「JUST WON’T DO RIGHT」と
「THAT’S WHEN I LOST MY HEART」がいい。
そして初期代表曲の「PLEASE PLEASE PLEASE」と「TRY ME」。
やはりJBは1枚目からただ者ではない。*参考LP2
1960年代に入りR&Bを土台に歯切れのいいアタック強めのホーンフレーズを
軸にリズムを強調した曲作りになります。
1965年から1967年にかけて一つのスタイルが完成。
「PAPA’S GOT A BRAND NEW BAG」と「I GOT YOU(I FEEL GOOD)」そして「COLD SWEAT」。
ジェイムズブラウン黄金期の始まり。*参考LP3
しかも同時進行で自らキーボードを弾いてジャズ的要素を取り入れ
インストゥルメンタルLPも積極的に作ります。*参考LP4
自分なりの想像ですがリズムが強調された要因は
同時期に出現した破壊的で激情型シャウター同郷のリトルリチャード、
そしてR&Bをビート化、パンク化させたエルヴィスプレスリーの影響があったのではないか。
世の中も急激に変化した時代。自分の音楽もより激しく強いものにしたい、
カッコよくダンスできるものにしたい。そんな思いから生まれたのかもしれません。
1960年代後半から1970年代にかけてリズムの強調が更に進み研ぎ澄まされて行きます。
もう歌というより掛け声とシャウト、ゴスペルを凝縮したような短い言葉の連呼。
リズムは余分な部分を削ぎ落とし延々反復しながらグルーヴを生み出す。
「MOTHER POPCORN」から「SEX MACHINE」へ。*参考LP 5&6
このあたりが頂点のような気がします。
70年代後半ディスコブームでやや復活。
85年ロッキー4の「リヴィングインアメリカ」で再ブレイク。
2006年12月肺炎で死去。享年73歳。
1993年福岡国際センター見に行きました。生JB体験しててよかったです。
JBの音楽を一気に要約して紹介しましたがスゴイのは音楽だけではありません。
パッケージショウとしてのライブの確立、
自費でライブ録音してライブLPを初めて世に出します。
また著作権を意識して音楽出版、版権ビジネスにも参入。
ライブオープニング司会者ダニーレイ氏のJB登場前の名調子
「The Hardest Working Man In Show Business」
ショウビズ界の一番働き者! まさに言葉通り。
ライブ終盤汗だくで燃え尽きプリーズプリーズプリーズの演奏途中
ダニー氏にマントをかけられ退場するかと思いきや
何度も蘇生、再生する「マントショウ」も一つの発明。よくできた演出です。
60年代後半、黒人運動にも影響を与えます。
1969年発売のLP「SAY IT LOUD I’M BLACK AND I’M PROUD」*参考LP 7
黒人であること、それを誇りに思うことを声高に言え。
かっこいいタイトルです。
学校に行けなかった自分の経験をもとに教育の重要性も常に訴えてきました。
どん底から這い上がってきただけに説得力あります。
インタビュー記事で印象的なものを一つ。マイケルジャクソンについて。
「マイケルはなんで白人になろうとしてるんだ?
黒人であるマイケルが世界ナンバー1になったことをなんで誇りに思わないんだ、、、」
JBらしいお言葉です。
そんなJBの伝記映画があります。
「ジェイムズブラウン 最高の魂(ソウル)を持つ男」*参考 8
2014年 テイトテイラー監督 ミックジャガープロデュース
主役のチャドウィックボーズマン、よかったです。
JBを演じるわけですから並大抵の努力じゃ務まらない。
実際2ヶ月間の猛特訓をしたそうです。ミックジャガーも褒めていました。
JBの永遠の相棒、ボビーバード役のネルサンエリスもいい味でした。
特に後半のライヴシーンは圧巻。お見事。拍手。
ただ残念なシーンがあります。それも映画の冒頭シーン。
1988年薬物吸引中に妻とケンカして銃の乱射。
その後駆けつけた警官とカーチェイス、逮捕。という事件を起こしてます。
実刑6年。(映画では多少内容は異なります)
その再現シーンから映画がスタートするのです。
脚本構成の意図はわかるのですが映画最初のシーンとしては芝居も難しいし、
JBを知らない人には唐突すぎる気がしました。
カメラワーク、編集もさほど凝ってはいない。
撮影した時はオープニングとして考えていなかったのではないか。
どんな編集行程だったかわかりませんがもっと他の構成はなかったのかな、、、、
映画終盤のライブ再現がいいだけに残念です。
映画をもう1本。
不朽の名作?「ブルースブラザーズ」!!!
1980年 ジョンランディス監督 脚本ダンエイクロイド *参考 9
ブラックミュージックムービーではナンバー1?
出演者はすごいです。主演のジョンべルーシ、ダンエイクロイドの他に
キャブキャロウェイ、ジョンリーフッカー、アリサフランクリン、
レイチャールズ、スティーブクロッパー、ドナルドダックダン、
そして教会の牧師役でJB。得意のシャウトゴスペルで盛り上げます。
教会のゴスペルコーラス隊の中にチャカカーンもいます。
映画の内容は置いといてラスト監獄ロックを出演者で歌い綴るところ素敵です。
ライヴ映像作品もたくさんあるJB。二つ紹介します。
B.B.キングとのジョイントライヴ
「1983 LIVE AT THE BEVERLY THEATER L.A.」です。 *参考 10
B.B.キングとの共演シーンも見応えあるのですが別のお宝シーンがあります。
演奏中盤お客として来ていたマイケルジャクソンがステージに呼ばれます。
大御所二人が出演するライヴで断るわけにはいかないMJ。
ステージに上がりパッと歌ってシャウトしてダンス&ムーンウォークを決めて
ステージから降ります。実にスマート。後で喜ぶJB。
実はプリンス殿下もこのライヴに
飛び入りしたということをJB特集本で知りました。
しかしライヴ映像を見てもその模様はなく無理な編集もされていなかったので
ずっと間違いの記事だと思っていました。
今回JBの映像をYOUTUBEで色々見ていた時に
そのプリンス殿下の映像を見つけたのです!びっくり!
MJがステージ降りる直前にJBに何やら耳打ちします。
想像ですが
MJ 「オジキ、プリンスもこの会場におるとですよ、
呼んであげたらどげんですか?」
JB「そりゃ、よかね。」
JBがステージから呼びかけるとプリンス殿下客席横の通路から登場。
ステージ衣装風のプリンス殿下、出る気満々だったのか?
しかし得意のギターを借りて弾くがなかなかいいフレーズが出ません。
ギターが自分に合わなかったのか?ギターをあきらめ上着を脱いで上半身裸になり
今度はマイクスタンドパフォーマンス&シャウト?しかしこれもビシッと決まりません。
結局中途半端なままステージから降ります。たぶん本人も不満足だったと思います。
JBが気を使ってカットしてくれたのかも。
それにしてもマイケルの現場対応力はすごい。子供の頃からジャクソン5でこういう場にも
ハプニングにも慣れているのでしょうね。
もう一つは
1987年 ケーブルテレビ局企画の
「SOUL SESSION 1987」 *参考 11
リヴィングインアメリカのヒット後でご機嫌状態のJB。やたら元気です。
共演者はアリサフランクリン、ウィルソンピケット、
ジョーコッカー、ロバートパーマーなど。
アリサ&ウィルピケは同じソウル畑だから安心していい感じです。
見所は珍しいロック畑二人との共演。
ジョーコッカーはJB作品 THINK収録の「I’LL GO CRAZY」をデュエット。
いつのまにかシャウト合戦になります。お互い譲らない。
ジョーコッカーもイギリス人としてのプライドがあるからJBに対抗します。面白い。
シャウトする二人の声が似てるということを発見しました。
そしてもう一人のイギリス人。大好きなロバートパーマー。
デュエット曲は「I FEEL GOOD」メドレーで「OUT OF SIGHT」最後は「TRY ME」
JB御大やりたい放題。それを何とかフォローして繋げるロバパー。
ソウル魂があるロバパーだからできる技。妙な師弟関係が微笑ましい。
最後にJBの映像作品ではないですが忘れられないものがあります。
高倉健さん出演のSPEAK LARK タバコのCMです。96年頃。
曲がJBの「IT’S MAN’S MAN’S MAN’S WORLD」歌っているのはドクタージョン。
30代前半、焦ってばかりでアタフタしていた新人演出時代こんな大人な世界観に憧れました。
2タイプあるのですがどちらも素晴らしいです。
演出も、カメラも、編集も、芝居も、セリフも、「言葉より語るのも」という締めのコピーも、
そして音楽も、すべて完璧。
追記 JB 関係を聴き直して新たな発見。高校時代に聴いたエアロスミスBOOTLEG LIVEの
D面に「MOTHER POPCORN」のカヴァーが入っているのです。知らなかった。
ほんとは高校時代にJBと間接的に出会っていたんですね。
スティーブンタイラーが歌うJB、いいです。*参考LP 12
参考LP1 AFRIKA BAMBAATAA & JAMES BROWN / UNITY 1984
トミーボーイ発のメッセージソング企画盤。
参考LP2 JAMES BROWN AND HIS FAMOUS FLAMES / PLEASE PLEASE PLEASE 1959
ファーストLP。
参考LP3 JAMES BROWN / CAN YOUR HEART STAND IT
オリジナルLPではありません。編集盤ベスト。ジャケットかっこいいので購入。
参考LP4 JAMES BROWN / GRITS & SOUL 1964
全曲インスト。ジャジーな感じからジャズファンクまで。
JBさん キーボード&オルガン 上手い!
参考LP5 JAMES BROWN / IT’S A MOTHER 1969
MOTHER POPCORN 収録 ライヴで盛り上げる曲必殺の
THE LITTLE GROOVE MAKER ME もあります。
怒涛のJB FUNK GROOVE 。
参考LP6 JAMES BROWN / REVOLUTION OF THE MIND
RECORDED LIVE AT THE APOLLO VOL.3
JBのアポロライヴ録音3作目。2枚組。A面にSEX MACHINEあり。
熱い。黒い。強烈なFUNK GROOVE ライヴ。
参考LP7 JAMES BROWN / SAY IT LOUD I’M BLACK AND I’M PROUD 1969
ジャケットも好きです。
参考8 ジェームスブラウン 最高の魂ソウルを持つ男
参考9 ブルースブラザーズ
参考10 JAMES BROWN / 1983 LIVE AT THE BEVERLY THEATER L.A.
参考11 JAMES BROWN / SOUL SESSION 1987
参考12 AEROSMITH / BOOTLEG LIVE