2019.08.02 /

フジジュンのROCKどげん?9

 

(敬意を込めて敬称略)

昭和時代、

ヤンキーのお兄さん、お姉さんたちが好んで聴いていたのはキャロル(矢沢永吉さん)、クールスを中心に

横浜銀蝿、シャネルズ、ヴィーナスなどの和ものロカビリーフィフティーズR&R系でした。

それに加えアメリカングラフィティのサントラやシャナナ。

友達の家に遊びに行けば必ずどれかありました。オールディーズは歌謡曲よりも身近な存在でした。

 

1950年代後半から日本に根付いているオールディーズ文化。

子供の頃からテレビやラジオでなんとなく知っている。

ロカビリーの歴史成り立ちなどはわからないが聞き慣れた音楽ジャンル。

 

というわけで今回は

フィフティーズロカビリーR&R周辺の特集です。

 

ロカビリーとは50年代、南部の白人少年たちが自分たちのルーツである

カントリーミュージックなどに黒人R&Bスタイルを混ぜ合わせ、

強いビートに強烈なエレキギターをのせて楽しく激しく踊れる音楽にしたもの。

 

本題に入る前にちょこっと映画話。以前紹介した「さらば青春の光」と同時期に

「グローイングアップ」というイスラエル映画がありました。

ボアズデヴィッドソン監督。1978年。

1958年テルアビブを舞台にした思春期青春映画。

主人公ベンジー少年がいいです。さらば青春の光のジミー少年と重なる部分が多く

自分の中ではジミー&ベンジーという架空のデュオグループになっています。

グローイングアップは全篇にわたり当時ヒットした曲のオンパレード。

ロカビリー系というよりポピュラー系が多いですがそれなりに楽しめます。オールディーズ満載。

パンフレット!

 

 

ELVIS PRESLEY / SUN COLLECTION

ELVIS PRESLEY / GOLDEN RECORDS

ELVIS PRESLEY / 50,000.000 ELVIS FANS CAN’T BE WRONG

ロカビリーと言えばメンフィスのサンレコード。サンレコードと言えばエルヴィスプレスリーです。

 

ロカビリーロックンロールの話はエルヴィスからじゃないといけません。

ロックンロールの元祖とまでは言いませんが最重要人物の一人。

 

1935年ミシシッピ州テューペロウ生まれ。13歳からメンフィスに移住。

白人貧困家庭で育つ。小さい頃から音楽に興味を持ちゴスペル教会へ。

好奇心旺盛なエルヴィス少年は人種差別が激しかった南部出身ですが

黒人地域に入り浸りブルースやR&Bを吸収。

生い立ちは南部生まれのブルースマンとほぼ一緒。ただ肌が白いだけ。

しかし生活の基本は白人学校なのでカントリーミュージックも身近にある。高校卒業後トラック運転手に。

 

1953年母親の誕生日プレゼント用に4ドルで吹き込んだレコードがきっかけで

翌年サンレコードからデビュー。

デビュー曲はデルタブルースのアーサークルーダップ「THAT’S ALL RIGHT MAMA」 弱冠19歳。

 

サンレコード社長サムフィリップスは元々黒人音楽好きで黒人向けのレコードを作っていましたが

「若い白人が黒人っぽい歌い方をすれば必ずヒットレコードになる」と考えていたそうです。

そんな時にエルヴィスが現れた。運命の出会い。

ギターの名手スコッティムーアとの出会いも重なります。

ラジオで放送されると一夜にしてヒット。

カントリーでもR&Bでもない新しい感覚の白人シンガー登場に話題沸騰。

次々に南部の町を席巻して行きます。

 

想像ですが

人種差別が色濃く残っている時代

白人社会の音楽はバラードやカントリーポピュラー歌謡みたいなものばかり。

それに比べ黒人音楽はノリが良く楽しくて激しいセクシーなダンスものがある。

白人の若者たちは黒人音楽の魅力も薄々知ってはいるが大人たちの目があるから近づけない。

そんな時に型破りでかっこいいエルヴィスが登場したから

熱狂的に受け入れられたのかもしれません。

例えがあまり良くないですが白い黒人。ブルーアイドソウルの原形。

ユーモラスでファッショナブルでセクシャル。

カリスマ性もある。そしてなんと言っても歌が抜群にうまい。

黒人音楽のバックボーンがあるからリズム感もいい。ダンスも上手い。

 

1956年、売れ始めたエルヴィスTV出演します。ミルトバールショー。

ハウンドドッグを腰振りながら熱唱。今見てもすごいです。腰の振り方が尋常ではない。

曲の途中からテンポが落ちてブルース調になるところもかっこいい。

このテレビ出演後、不道徳とか、教育によくないとか、なんと70万件の苦情が殺到。70万件って笑えます。

ちなみに同時期に出たエドサリヴァンショーは視聴率驚異の82パーセント。

 

これも想像ですが

50年代のアメリカ。白人社会の中に黒人に対して脅威の気持ちが潜在的にあったのではないか。

奴隷として連れてこられた黒人の中に優秀な人が出てきて白人優位の世界がいつか壊されるのではないか。

人種差別が明確にあり不安定なそんな時代に腰を前後させ髪を振り乱して

黒人のブルースを歌う白人が出てきたから大人達は困惑したと思います。

白人の人はもちろん黒人の人たちにも衝撃的だったはずです。

主に白人社会の奥さん、宗教団体などからタブーを冒す行為だと猛抗議。

悪魔とまで表現されました。しかし本人は自然体そのもの。

ある程度覚悟して確信犯的にやっているとは思うのですが

辛辣なインタビューでも「体が勝手に動いてしまった」と多少申し訳なさそうに答えています。

しかもエルヴィスはそんなに不良ではありません。とても母親思いで純粋な性格。

やがて抗議も人気にかき消されスーパースターの道をまっしぐら。

彼こそアメリカそのものとまで言われます。世の中わからないものです。

 

サンレコードから大手RCAレコードに移籍。

マネージャートムパーカー(パーカー大佐)とチームを組んで全国制覇。

映画の世界にも進出。

 

1958年人気絶頂期に軍隊へ。西ドイツ勤務。2年後帰国。

本格的に映画の世界へ。映画出演本数32本!

しかし安っぽいつまらない映画ばかりで人気低迷。

その後、結婚、娘誕生で一念発起。

1968年 音楽業界復帰。TV出演エルヴィスカムバックスペシャルでやや復活。

1970年代 ラスベガスからはじまったライブ公演が続くが離婚そして体調不良が続き

1977年8月 ツアー途中、薬の過剰摂取、心不全で死去。享年42歳。

 

エルヴィスの映像作品を少し。

これは販売されていませんが軍隊から戻った直後に出た

フランクシナトラさんのTV番組「FRANK SINATRA TIMEX SHOW」

ビッグバンドアレンジされたラブミーテンダーをシナトラおじさんと

デュエットするのですが負けていません。さすがエルヴィス。

 

ドキュメンタリー作品は「THE SEARCHER」が一番いいです。

編集もテンポいいし丁寧だし飽きません。素晴らしい。

 

ライヴ映像だと1970年ラスヴェガス公演を収めた「THAT’S THE WAY IT IS」が面白い。

ライヴドキュメンタリーでリハーサル風景、客席の雰囲気まで細かく撮影してあります。

本人もTVカムバックスペシャル成功後でご機嫌。ダイエットにも成功してスタイル抜群。

バックもギター、ジェームスバートン。人間エルヴィスがよくわかる。

メイキング映像の最後に印象的な言葉があります。

「この作品はファンだけではなく

 エンターテインメント志望の人々も対象にした20世紀の偉大な歌手の記録です」

ロックンローラーの枠を超えてエンターテイナーに登りつめたエルヴィス。

子供の頃、枠を超えて黒人地域に行き、デビュー後TV(大人)の常識という枠も超える。

さらに音楽界の枠も超えて映画出演。決められた場所に収まりきれない天才。

しかし一つだけ実現できなかったことがあります。

アメリカという枠を超えて世界ツアーをすることです。

マネージャーの不法移民問題で海外公演は夢に終わります。

結局、国外に出たのは軍隊時代の西ドイツだけ。

世界のスーパースターというイメージがありますが実はアメリカ国内しか公演をやっていない。

 

最後にエルヴィスの好きな写真集を紹介。

アルフレッドワートハイマーが撮った「エルヴィス、21歳」

原題は「ELVIS 56」スーパースターになる直前のエルヴィス。

瑞々しい表情の中にも野心を感じます。

いい写真ばかり。

パート2へ続く。